日本の人々は現在の西暦を導入する明治6年まで、太陰太陽暦(旧暦)を使って暮らしていました。江戸末期には幕府公認の暦だけでも毎年約四百五十万部も発行され、出版物の少なかった時代にもかかわらず、一家にひとつは存在していた計算になります。その他、藩公認のもの、非公認のものを含めると、実際の普及率はさらに高く、世界でも類を見ない程でした。
四季の豊かな風土に恵まれた日本人は暦と共に季節の移ろいを知り、生活のリズムを大切にする文化を持っていたのです。祭事や行事はもちろんのこと、農業、漁業など、あらゆる産業に至るまで、天候や潮の満ち引き、季節の推移を知ることなしには成立し得なかったといえるでしょう。
暦の中には、「大小」と呼ばれる「絵暦」もありました。これは不定期に訪れる、一ヶ月を三十日とする大の月と、二十九日とする小の月、あるいは閏月を知るのに苦労したことから、浮世絵の中に大の月、小の月の数字を隠したり、風物や文様にあてはめたりと、実用を越えて、その美しさや機知の遊び心を競うものとして発達しました。江戸時代の有名な画家達も「大小」を手がけ、年末の贈答品に活用されたり、各地でコンクールも催される程、盛んだったといいます。謎解きや頓知のきいた作品が、国会図書館や博物館などに多く収蔵されています。
盛岡絵暦
(左が小の月、右が大の月)
俳諧一枚摺
歌川豊廣画
(個人が年始に配った刷り物)