「花笑み(はなえみ)」
ところで、七十二候では「笑う」と書いて「さく」と読ませています。花は「ほころぶ」と表現することもありますが、「ほころぶ」や「笑む」という言葉は、内側に隠れさていたものが突然、外に顕れることをさしています。
中に溜めた力が一気に外に放出されるのが「ほころぶ」という現象ですので、花が咲くことも、突然、鳥がさえずることもほころびです。春がほろこび、山は笑います。人間も同じで、内に湧いたものがどうしても隠しきれなくなったとき、顔に出てしまうものが笑いです。
「花笑み(はなえみ)」という言葉は花が咲くことだけでなく、人が微笑んでいる様子や、花が咲いたような笑顔を意味する言葉です。ゲラゲラ笑うのではなく、内側からにっこりするような、やわらかい笑顔。愛らしい桃の花は、心の底から自然に湧いてくるような笑みを誘います。
桃色の花たち
春の始まりは黄色の花たちから始まりますが、春も進んでくると、桃の花を皮切りにピンクの花が多くなってきます。今回はちょうど今、見られるピンクの花をいくつかご紹介します。
春の光で一層、輝く乙女椿。どこまでも優しい乙女色です。
「春の暁光」という名前の椿です。まさに曙色。
梅もまだまだ咲いています。華麗な梅「蓮久(れんきゅう)」。
見た人が驚くことから名づけられた梅の「見驚」。
早咲きで知られる桜の一番手「河津桜」。
草びな
元々、上巳の節供は水辺で禊したり、草を踏んで穢れを払う行事でした。この季節のおすすめは、摘み草と、踏青(とうせい)です。摘むという行為を通して手の先から直接、植物のエネルギーが入ってきます。
これは伝統的な草びなで、大正生まれの習俗研究者に教わったものです。この方の子供時代、お雛さまが買えない庶民の子供たちは草びなを作って遊んだそうです。頭を花にしたのは私の創作で、本来は細い葉を曲げて頭に挿す、草だけで作るお雛様です。
野辺節供
かつて春の天気のよい日に山や野や海に出て、眺めのいい場所で一日中、遊ぶ風習は全国にありました。それを「野辺節供」といいます。踏青(とうせい)は青い草を踏んで遊ぶことで、春の野遊びです。
裸足で草の上を歩く。ただそれだけで足の裏から植物の精気が入り、元気になることを昔の人は知っていたのでしょう。3月は行楽日和、自然に触れることがなによりの心のご馳走になります。
山に近い人は「山入り、山遊び」、海が近い人は「浜下り、磯遊び」といい、春の行楽行事であることから「春ごと」と呼ぶ地域もあります。いずれにしても、外で長くすごせるようにお弁当やお菓子を持っていきました。いわば遠足のようなものです。
「雛の國見せ」
江戸時代、こうした行楽の日に雛人形を家の中から持ち出し、海や山の眺めを見せてあげることが流行し、この習慣が「雛の國見せ」と呼ばれるようになりました。女の子たちは雛人形と一緒に美しい景色を眺めていたのです。
このときに持ち出せる遠足のおやつとして、ひなあられが広まったといわれています。元々ひなあられは菱餅を砕いて作られていましたが、次第に菱餅とは別に用意されるようになり、ひな祭り定番のお菓子になり、今も変わらず人気があります。
色は菱餅と同じで、桃色、白、若草の3色。菜の花の黄色を加えた4色になっていることもありますが、女の子のお祝いにぴったりなパステルカラーのあられは見ているだけで幸せな気持ちになりますね。
自然との交感
このように行事や節供の起源の多くは「自然との交感」にあります。自然を敬い、自然の力にあやかる行為です。桃色や緑の濃淡でもやぐ山を「山笑う」といいますが、優しく煙るような色合いの山をよく見つめるだけでも、心の交感は成立しています。
人の意識が自然と一体化して、完全に自然の一部になること。そこに人の本質的な幸福があります。天気の良い日はぜひ近くの野山に出かけて、桃色と若草色を楽しんでみてください。
出典:暦生活